高知家 KICNETWORK
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●高知家IT・コンテンツネットワーク インタビュー
武市 智行 氏(高知県コンテンツ産業振興アドバイザー)

第1回 銀行マンから見たベンチャーの世界

高知家IT・コンテンツネットワークでは、高知県にゆかりのあるIT・コンテンツの分野で活躍する人たちへのインタビューを行ってまいります。第1弾は、高知県コンテンツ産業振興アドバイザーで、株式会社スクウェア(現スクウェア・エニックス・ホールディングス)をはじめ、多くのベンチャー企業の成長を支えてこられている武市智行氏にお話を伺いました。
全3回の連載として、第1回は、銀行マンを辞めてスクウェアを成功に導いた秘訣についてのお話をご紹介します。

武市 智行 氏(高知県コンテンツ産業振興アドバイザー)

高知県出身。株式会社スクウェア(現スクウェア・エニックス・ホールディングス)代表取締役社長、株式会社AQインタラクティブ(現マーベラス)代表取締役社長、社団法人コンピュータエンターテインメントソフトウェア協会(CESA)副会長、社団法人日本レコード協会監事などを歴任し、現在も高知で創業した株式会社SHIFT PLUS取締役会長、株式会社アルファコード取締役、株式会社Aiming社外取締役、株式会社GameWith社外取締役などを務めている。
また、2010年に高知県産業振興スーパーバイザーに就任し、現在は高知県コンテンツ産業振興アドバイザーとして高知県の産業振興に尽力されている。

武市氏は大学卒業後、四国銀行へ就職し、ゲーム会社のスクウェアへ転職し、社長に就任する。地方銀行からゲームのベンチャーという真逆の世界に飛び込んだ理由とはどのようなものだったのだろうか。

―― 武市さんは、スクウェアにいた頃から現在まで、あらゆるベンチャーの経営に携わり、若い人の活躍を支えていらっしゃいます。銀行員だった若い頃から、そうした人たちを支えたいという意識は持っていたのでしょうか。

 

四国銀行に就職をした際に、地方銀行の存在価値や、企業として成長発展させるために必要なことは何だろうと考えました。

 

地方銀行が成長するためには、地元の経済の発展が必要です。しかし、私が入行した1979年頃は、人も経済も都市へと流れ、地方の衰退がはじまっていました。地方の経済を活性化させるために、新しい産業を興すか、衰退する産業の支援や再生をしていく必要があります。ところが、そのどちらも銀行にとっては、支援が難しい分野です。

 

新しい産業を興すにも、融資で支援する場合、理論値で言うと50社に1社の割合でつぶれると、銀行の1年間の利益が吹っ飛んでしまいます。斜陽する産業に対しても、赤字で貸し倒れになってしまうリスクを考えると、やはり銀行として支えていくのが難しい。なので、新しい仕組みや支援体制をつくらないといけないと考えていました。

 

―― そんな中、武市さんは四国銀行から、まさに新しい産業であるゲーム会社のスクウェアへ進まれます。実際に行ってみてギャップを感じたこともあるのではないでしょうか。

 

スクウェアにいってみると、銀行と正反対の会社でした。当時、ゲームソフト産業というのは、新しい分野だったので、規制も保護もない。自分たちの力だけで、世界で戦うような環境でした。

 

銀行だと何かを決裁するために判子が10個も並ぶような世界でしたが、ベンチャーになると、みんなで集まってその場ですぐに決めていくことができる。そうしたスピード感を持った会社を、金融が支えていけたらいいなと思いました。

 

―― スクウェアは武市さんが出向中に上場を果たします。一度銀行へ戻ったあとに、再び、今度は社長としてスクウェアに呼び戻されますが、そのときの決断について教えてください。

 

スクウェアは1994年8月に上場を果たし、私はその年の12月に銀行の審査部に戻りました。それから半年ほどが過ぎた翌95年の夏頃、スクウェアは、任天堂プラットフォームからSONY/Playstationプラットフォームへの移行を検討していました。

 

SONY/Playstationプラットフォームに移ったら、もう任天堂プラットフォームには戻れない。その覚悟を決めた上で、新しい成長戦略を描かないといけない。そうした状況で、経営陣からよく相談を受けている中、社長として戻ってきてほしいという依頼を受け、転籍を決意しました。

 

―― 銀行を辞めてゲーム会社の社長に就任するには、大きな決断が必要だったのではないでしょうか

 

スクウェアから四国銀行に帰ってからも、高知の経済を活性化させることが地方銀行の使命であり、それを果たすことが四国銀行の発展、成長に繋がると思い、銀行内でチームを組んでベンチャー支援や企業再生の活動をしていたところでした。

 

銀行に残るかスクウェアで社長をやるか迷いましたが、「迷ったらやる方を選ぼう」と思い、スクウェアを選びました。上場会社の社長を経験できることも大きな魅力でした。その経験を、将来、高知経済に活かすことで、四国銀行にも貢献できるという思いもあり、最終的に銀行を辞める決心がつきました。

 

スクウェアの成功の要因とは・・・

武市氏が社長に就任したのち、スクウェアは急激な成長を遂げ、ユニークなタイトルを多数リリースし、優秀なクリエイターも多数集まった。銀行マンだった武市氏が、スクウェアの成長に対してどのような手を打ったのか。

 

―― ご自身の活躍でスクウェアが大きく成長していった当時を振り返って、成長の要因はどんなところにあったと考えますか。

 

当時のゲームソフト産業は、規制も保護もない新しい産業でした。そんな世界で、若い人たちが、自分たちで将来の夢を描き、夢の実現のために考え、行動し、失敗を恐れずチャレンジし続ける。そういう会社であるための経営をしていることが、スクウェアの強みでした。

チャレンジを継続すること、応援すること。たとえ失敗しても、考えた上での失敗は必ず成功に繋がると認めること。成功したらそれに報いること。クリエイターたちがチャレンジをやり遂げるため、会社として、財政面も含め、彼らが活躍できる環境をあらゆる面から創り、整備することに専念しました。

 

元からいたクリエイターたちが応えてくれたし、そんな社風に惹かれて、夢や才能を持ったチャレンジャーたちも集まってくれた。彼らにどんどんチャレンジしてもらってことが、成長した要因だと思います。

 

―― 具体的にはどのような環境を創ったのでしょうか。経営者として、ゲームの企画書へのOK・NGといった判断も直接していたのでしょうか。

 

私はクリエイターではないので、彼らがチャレンジできる環境づくりを進めていただけです。社長になった当時は、「私はプロ野球などの球団経営者と同じであり、強い球団(=企業)を創るために徹する」ということを言い続けていました。

 

いい選手が集まり、活躍し、その選手たちをまとめる監督やゼネラルマネジャーを集め、勝てる球団にする。それを徹底してやる。夢と才能がある人たちを採用し、夢や才能を活かせる環境をつくる。

 

環境をつくるだけではダメで、「自分はこんな新しいタイトルを創るんだ!」というチャレンジャーに、経営者として張っていく。張るときの判断は、企画に対してではなく、その人の才能やチャレンジする姿勢、チームを引っ張っていく魅力や統率力を見ていました。

 

新しいタイトルを立ち上げようと旗を振る人には、あきらめずに徹底的にやるという姿勢が必要です。また、ゲームづくりは一人ではできません。スーパーファミコン、プレイステーションになると数十人、「ファイナルファンタジーⅦ」のときは150人というチームで作りました。

 

なので、目的を共有して人を引っ張っていくマネジメントの力や魅力が必要になります。そういう人にチャレンジをしてもらったということです。

 

チャレンジし続けないと、新しいものは生み出せません。ゲームやエンタテインメントで新しいものを創るためには、いままでにない感動や驚きを生まないといけない。それに本気で立ち向かうチャレンジャーに、チャンスをどんどん与えていった。その結果、新しいタイトルが生まれていきました。

 

―― 新しい企画に対しては、それを創ろうとする人がどんなチャレンジをしていくのかを見ていったということですね。

 

社内には「ファイナルファンタジー」というビッグタイトルがあって、坂口さんという人(坂口博信氏:ファイナルファンタジーシリーズの生みの親)がいます。すると、「坂口さんを超えたい!」というチャレンジャーがどんどん出てくる。

 

そんなチャレンジャーたちに、坂口さんは「おれを超えていけ」と言う。日本人の多くは下にチャンスを与えず、自分が一番でいたい。しかし、坂口さんはそうではなく、すぐれた才能をもった人にどんどんチャレンジをさせる人でしたし、「あいつにあれをやらせましょう!」と言ってくる人でもありました。

 

―― チャレンジできる環境と超える対象があることで、社内に健全な競争が生まれたということでしょうか。また、その環境に魅力を感じて、外からも有能な人が集まりやすかったのではないでしょうか。

 

そうなんです。坂口さんを超えたいというメンバーが現れ、それぞれが新たなタイトルを生んでいきました。採用でも50名の募集に対して、倍率100倍にあたる5,000名が応募をしてきてくれました。

 

チャレンジへの成功に報いる制度も作っていました。成功したときに報われないと、チャレンジはできない。作品に名前が出るだけではなく、利益の10%をチームに分配するなど、報酬面でも応えていきました。

 

こうした挑戦を止めなかったことと、私や私と一緒に成長を支えた経営陣たちが減点主義ではなく、加点主義だったということも、いいタイトルが生まれた要因だったと思います。

 

(聞き手 原 亮/エイチタス株式会社 代表取締役)